SSブログ
80年頃の日本のパンク ブログトップ
前の10件 | -

地下音楽への招待 signal-Z 2号 [80年頃の日本のパンク]

地下音楽への招待

剛田武 (著), 加藤彰 (編集)
単行本(ソフトカバー): 424ページ
出版社: ロフトブックス (2016/9/22)
ISBN-10: 4907929145
ISBN-13: 978-4907929145
発売日: 2016/9/22

地下音楽.jpg

【amazon掲載の内容紹介】
1978年、吉祥寺に開店した一軒のジャズ喫茶は、その一年後「Free Music Box」を名乗り、パンクよりもっと逸脱的(パンク)な音楽やパフォーマンスが繰り広げられる場となっていく──「Minor Cafe」として海外でも知られるようになったこのスペース、吉祥寺マイナーの“伝説"は近年とみにマニアたちの関心を惹くものとなった。しかし、そこには前史や後史、あるいは裏面史など時間的にも空間的にもさらなる広がりと深さを持った、さまざまな出来事と人物たちの「流れ」と「つながり」があったことは、あまり、否、あまりにも知られていないのではないか。本書は、そうした現場の一端に立ち会ってきた一人の目撃者=体験者が、ミュージシャンやパフォーマー、オーガナイザーたちとの再会や対話、またメディアの再検証を通じて、日本のメジャーな音楽シーンが80年代の多幸症に向かうなか、そのパラレルワールドのようなものとしてあった「地下音楽」の世界を描き出す、初めての試みである。 ○列伝形式による人物の体験と記憶の紹介──園田佐登志/藤本和男/鳥井賀句/竹田賢一/白石民夫/工藤冬里/原田淳・増田直行/安井豊作/生悦住英夫/山崎尚洋/山崎春美etc. ○吉祥寺マイナー、高円寺ブラック・プール、横浜 夢音、法政大学学生会館、モダーンミュージックなど伝説のスペース、『ロック・マガジン』『フールズ・メイト』『ZOO』『マーキームーン』『HEAVEN』など伝説の音楽誌、サブカル誌にまつわるエピソードを多数掲載 ○間章、阿部薫、高柳昌行ら今は亡き伝説的人物、灰野敬二、裸のラリーズなど今もなお地下音楽の世界に君臨するアーティスト、また若き日の坂本龍一、近藤等則、町田康らの活動と、その時代背景や文脈を詳細な註釈で解説紹介 ○吉祥寺マイナーほかの秘蔵フライヤーを誌上公開 ○CDは全18曲(うち14曲は未発表音源)・計76分を収録

私が吉祥寺マイナーを知ったのは1980年12月、DOLL創刊号の愛欲人民十時劇場の記事でなんですが、その3ヶ月前、1980年9月で吉祥寺マイナーは閉店してしまっていたから、私はギリギリ行くことができなかったのでした。

それから何年経っているんだ?36年?まあずいぶん経っているけど、いまだに残念だったなあ、という思いが消えない。

最近、そういう渇望感を充たしてくれる企画が時々催されるようになってありがたい。この本もそういう思いで読み進めた。

いろんな感想を持ったのだが、ひとまずそれは措いておいて、吉祥寺マイナーの関連資料として本書に挙がっていないと思われるものをここで上げておきたい。

signal-Z 2号
1981年8月発行
編集者 シェルツ・ハルナ&地引雄一

異形の天使たち FREE SPACE吉祥寺[マイナー]の937日。

シェルツ・ハルナによる佐藤隆史・白石民夫のインタビュー。

SIGNALZ.jpg

img9.jpg

minor4.jpg

img15.jpg

img18.jpg

初期「タコ」の名称使用についてのまとめ [80年頃の日本のパンク]

先日発売されたタコBOX「甘ちゃん」付属のブックレットに、以下の記載があります。

山崎春美を中心としたバンドとして、「タコ」という名前で活動しはじめる以前に、「山崎春美+その他」にあたる「しびれくらげ」「イヤミ」などというバンド名で活動した時期があり、

この、最初期の名称については、以前から気になっていたので、私が持っている資料とWEBで得られた情報を基に、整理してみました。

HEAVEN創刊号 1980年4月23日発行
X-LAND STATION

5月1日、2日法政大学のコンサートに、今はなき幻のロックバンド「ガセネタの荒野」のボーカル山崎春美ひきいる新グループが出演するかも知れない。このバンドにはなんと、噂の人、隅田川乱一氏も参加しているかも知れない。これはもうじえったいにオモシロいかも知れない。

法政大学学生会館文化史 1974-2004
http://d.hatena.ne.jp/hosei-culture/20110516/1305713983

◆1980/04/29,05/01-02「Imaging kids garage」
出演:ZIG ZAG/犬/ノーコメンツ/だててんりゅう/ナイロニクス/プライス/S-KEN/イヤミ/ハルメンズ/CHACHA'82
@法政大学学生会館大ホール

手持ちの資料では、これ以前の山崎春美氏のバンド・ユニットでの演奏は確認できませんでした。
この日が山崎春美がガセネタ解散(1979年3月30日)後、初めて組んだ「新グループ」での演奏、と考えてよいのでしょうか。
ここでの名称は、『イヤミ』だったんですね。

HEAVEN 2号 天国注射の夜 告知

20120816094455820_0004圧縮.jpg

20120816094455820_0003圧縮.jpg

HEAVEN 4号 天国注射の夜 レポート

20120816094455820_0001圧縮.jpg

20120816094455820_0002圧縮.jpg

6月6日(金)、午後6時から深夜3時30分まで、新宿アシベ会館5階のニューヨーク・シアターにてHEAVEN創刊記念イベント「天国注射の夜」が開かれました。出演バンドはスキャンダル、すきすきスウィッチ、非常階段、SIGHING-P ORCHESTRA、コクシネル、S-ken、三上寛、横山宏、銃、タコの皆さんでした。入場人員はのべ240人、一時は会場全体が錯乱状態となるほどの盛況でした。(以下略)

ここで「タコ」の名称が出てきます。

BET vol.0 

「BET」は、ばるぼらさん作成のZINEで、非常に貴重な資料が載っています。
その中に、『吉祥寺マイナー不完全イベントリスト』があり、これは、当時の『シティロード』『ぴあ』を基に作成したリストであるとのことです。

このリストから、山崎春美のソロを除いた出演記録を抜粋してみます。

1980年7月19日~25日「吉祥寺マイナーの一週間」
7月23日 第五列/タコ/突然段ボール/竹田賢一(大正琴)/高橋(p)/向井千恵(胡弓)

9月14日 「剰余価値分解工場」上記/STIGMA(from筑波)/暗射/山崎春美としびれくらげ

法政大学学生会館文化史 1974-2004
http://d.hatena.ne.jp/hosei-culture/20110516/1305713983

◆1980/11/21-24「第32回法政祭」
・「imaginative Garage for Street Syndicate」
出演:裸のラリーズ/グンジョーガクレヨン/チャンスオペレーション/突然段ボール/三文役者/NEW JAZZ SYNDICATE/VEDDA/DADA/NEON/連続射殺魔/
シビレクラゲ/灰野敬二/絶対零度/ステレオズ/CHACHA'82
@法政大学学生会館大ホール

◆1980/12/13「剰余価値分解工場」
出演:タコ/暗射/白石民夫/田中トシ
@法政大学学生会館大ホール

以上をまとめると、1980年での名称は、以下のようになっています。
5月1日、2日 イヤミ
6月6日 タコ
7月23日 タコ
9月14日 山崎春美としびれくらげ
11月21日~24日 シビレクラゲ
12月13日 タコ

このように、「タコ」と「しびれくらげ」の名称の使用は、時期的に重なっていることがわかります。

まあ、重箱の隅をつつくような話で、だからなんだということなんですが、待望のタコ初期音源BOX発売があったので、この機会にまとめてみました。

タコ BOX vol.1『甘ちゃん』発売記念 ライヴ&トークショウ [80年頃の日本のパンク]

【ganja/acid 真昼の廃人 真夜中のHIGH人】
〜タコ BOX vol.1『甘ちゃん』発売記念 ライヴ&トークショウ〜
http://www.ustream.tv/recorded/24556557#

本日 2012年8月8日(水) 発売の "山崎春美"監修 CD 4枚組 【 タコ BOX vol.1『甘ちゃん』】の発売を記念して 発売日である 本日 2012年8月8日(水) よる 8時8分より "心斎ケ橋クライヴェントルーム acid"にて 開催される ganja/acid presents【真昼の廃人 真夜中のHIGH人】 サイケデリックバー ganja 20周年 〜タコ BOX vol.1『甘ちゃん』発売記念 ライヴ&トークショウ〜 を Ustreamで配信します! 本日 八月八日は "タ コ"の日!!!
(上記ページに記載されている紹介文)

今日は関西タコのお話 山崎春美(Vo)、藤井海彦(G)、司会:多門伸 #GASENETACO ( @ganjacid live at http://ustre.am/Nclk )
https://twitter.com/GASENETACO/status/233160869352198144

トークショーの出演者は上記の方だったようです。

トークの内容を要約するのは難しいんですが、 
タコ公式ツイッター
https://twitter.com/GASENETACO

これに上がっているツイートを適宜拾って並べてみます。

今日は関西タコのお話

藤井海彦(現タコG)は1983年頃から関西タコに参加

自販機雑誌『HEAVEN』のお話

質問:どうしてタコに坂本龍一が参加することになったんですか?

質問:EP-4とタコはどこで知り合ったんですか?

質問:どうしてタコは突然なくなったのか?

(質問)雑誌ポパイのからみで桑田佳祐がLPタコに参加する予定があったって本当?

(質問)白石さんと山崎さんがライブやることってありえないんですか?

(質問)浜野さん今どうしてるんですか?

(質問)結局、深沢七郎、島尾敏雄とかのカセットのリリースは頓挫ですか?

(質問)春美さん本は書かれないんですか?

(質問)初期フールズ・メイトにはアプローチしなかったのですか?

(質問)愛欲人民十時劇場のクレジットがタコではなくて山崎春美グループだったのは、当時はまだタコって名前はなかったんですか?

トークの合間にライブをやりました。曲目は以下のものでした。
宇宙人の春 雨上がりのバラード 嘔吐中枢は世界の源 社会復帰 人捨て節 宇宙人の春(2回目) 仏の顔は今日も三度までだった

・・・

ちょっと画質が悪かったんですが、トークの内容は初めて知るものも多くて、非常に刺激的でした。
冒頭のURLにアーカイブが上がっているので、長時間ですが、見逃した方はぜひ!

タコ 甘ちゃん [80年頃の日本のパンク]

甘ちゃん.jpg

タコBOX vol.1 『甘ちゃん』、発売日の昨日、買ってきました!

付属のブックレットから抜粋。

『タコ BOX vol.1』では、次第に形を為し生成していく1980年末から1981年末までの初期「タコ」の姿を収める。1980年9月28日マイナー閉店その日から、「タコ」の名で活動し始める時期をDisk1に、1981年8月15日日比谷野音「天国注射の昼」での録音を中心にますます肥大化していく「タコ」をDisk2に、1981年10月23日新宿JAMでの録音を中心に、吉祥寺マイナー周辺の複数の小ユニットをDisk3に、そして「タコ」1stアルバムとしてリリースされる予定だったが頓挫した幻の録音をDisk4に収める。

極私的山崎春美体験⑥ タコ1st
http://take38.blog.so-net.ne.jp/2011-07-17

ここで書きましたが、私は、上記の、「タコ」1stアルバムとしてリリースされる予定だったが頓挫した、という経緯を、当時、雑誌などを通じてリアルタイムで経験しており、その録音がいつかリリースされないかとずっと思っていました。

なので今回のリリースは本当にうれしい。まさに待ちに待った音源。

これから聴き進めつつ、このBOXにまつわることを何回か書きたいなあと思います。

極私的山崎春美体験⑬-2 復活後の山崎春美ライブ② [80年頃の日本のパンク]

2003.7.21  曼荼羅Ⅱ シェシズ+山崎春美
この日のパフォーマンスから受けた印象は今でも強烈に残っている。

前後の脈絡とかは忘れてしまった。山崎春美が一人でやったパフォーマンス。
山崎春美は椅子に座り、手はテープで後手に縛られていたのではなかったか。
口もテープで猿ぐつわ的に塞がれていたのではなかったか。

このへんはかなり記憶があいまい。大体そんなだったらどうやってステージに出てきてどうやって退場したのだろう。
口も塞がれていたら何もできないではないか。

そう、私の記憶では、何もできなかったように思うのだ。
声にならない声を出してもがいているだけ。

かつての伝説のミュージシャン。伝説のパフォーマー。
それが今は声にならない声を出してもがいているだけ。
なーんだ。何もできないじゃあないの、今となっては。

そう思われても仕方のないパフォーマンス。なぜ今これを?
そういう気分のまま、山崎春美を見つめていると、だんだん別の感情が沸き起こってきた。
山崎春美から、こんなことを言われているような気分になってきた。

お前らの見たいものはこういうことだったんじゃないのか?

かつての伝説のミュージシャン。伝説のパフォーマー。
今は声にならない声を出してもがいているだけ。
なーんだ。何もできないじゃあないの、今となっては。

そういうものを見たかったんじゃあないのか?じゃあ見せてやるよお望みどおりに。思う存分たっぷりと見せてやるよ。

見ろよ!
見ろよ!
見ろよ!

伝説のパフォーマーの末路を嘲笑いに来たんだろう、お前らは!

私はそういうどす黒い感情のもやみたいなのを突きつけられているような気分になっていった。
もやを突きつけるって表現としておかしいですね。でもそうとしか言いようのない感じ。

『ガセネタの荒野』には、山崎春美のパフォーマンスは、自分の弱いところを晒して晒して、しまいには見ているほうが目を背けたくなるような状況にしていく、という評し方がされていたけど、私は、この日の山崎春美が、まさにそうだったように感じた。

極私的山崎春美体験⑬-1 復活後の山崎春美ライブ① [80年頃の日本のパンク]

1996年にYさんと交流を持つようになってまもなく、クイックジャパン11号で山崎春美の特集が組まれたり、⑫で書いた自殺未遂ギグの上映会があったり、さらには山崎春美が再びライブをやるようになったり、ということになった。

そのようにして「復活」した後の山崎春美のライブ(東京で行われたもの)がどれだけあったか、記憶をたどったりYさんに訊いたりネットで調べたりして、これだけは判明した。まだあるかもしれないが。ライブはむしろ関西でやったほうが多いのかもしれないが、余力がなくてそこまでは調べられていない。

タコ
1996.12.28 渋谷ラママ
1997.3.1  下北沢シェルター
1997.9.6   新宿ロフト

山崎春美
2003.7.21  曼荼羅Ⅱ シェシズ+山崎春美
2007.4.30 金子寿徳追悼ライブ 新宿JAM
2008.10.11 21世紀 天国注射の朝と宴 SPACE雑遊

この中で見に行ったのは、ラママ、ロフト、マンダラ2ですね。

ラママとロフトはバンド編成。ロフトのときのライブがすごくよかった。

港湾労働者達の怒りが今こそ爆発する
http://home.netyou.jp/cc/sakamo/punk/report/970906.html

ロフトのライブ観戦記がアップされてました。このころのライブレポートって、ネットで見つかることってなかなかないのでありがたい。

同じ人がラママの観戦記もアップしてました。
http://home.netyou.jp/cc/sakamo/punk/list/index.html

そうそう、今から思えばこのときはまだ試運転っぽかったなあ。ロフトのライブはもう全開だったけど。

あと2003年のマンダラ2、このときのパフォーマンスは強烈だった。これは回を改めて書きます。

極私的山崎春美体験⑫ 自殺未遂ギグ ビデオ上映会 [80年頃の日本のパンク]

1996年12月21日と97年1月に、映画監督の福居ショウジンが手がけていたイベントシリーズ『東京サロン化計画』の一環として山崎春美の自殺未遂ギグのビデオが上映された。

私はこれ、見に行ったという記憶は残っているんだけど、肝心のビデオの内容がほとんど記憶に残っていない。
池尻大橋の会場に行ったのは間違いないんだが……。

当時のチラシが残っていたので、案内文を転載しておきます。

SALON S36-31企画第一段
山崎春美『自殺未遂ギグ』プレミア上映(’82/90分)のご案内

映画『Pinocchio√964』『RUBBER’S LOVER』で知られる鬼才映画監督・福居ショウジンの初プロデュースによる山崎春美『自殺未遂ギグ』を12月21日(土)SALON S36-31(池尻大橋)において上映します。

10年間の封印から福居ショウジンの手によって解き放たれるその映像は、"憂欝"という言葉以外見つからない。痙攣と自らの手で肉体を切り刻む様は誰もが絶句し息をのむ。たるいサウンドと、どす黒い鮮血がTシャツを次第に染めていく、ただそれだけの映像。10年の時を隔てて、蘇ったかのような山崎春美があの時と現在を語ります。
SALON S36-31にぜひ足をお運びください。

【山崎春美PROFILE】
タコ、ガセネタ、元HEAVEN編集長

【福居ショウジンPROFILE】
(9週上映)の映画『ラバーズ・ラヴァー』監督
今回、東京サロン化計画を仕掛ける。

<日時>12月21日(土)《東京サロン化計画 vol.19》
山崎春美『自殺未遂ギグ』上映(’82/90分)
山崎春美のトーク在り*各界有名人多数来店予定
チャージ¥5,000(フリードリンク)
PM6:00 OPEN PM7:00 START

[問い合わせ]ホネ工房 tel(略)
1997年初春から毎週上映予定
(以上引用)

極私的山崎春美体験⑪ Y氏からの手紙 週刊金曜日コラム [80年頃の日本のパンク]

Y氏といっても山崎春美ではなく、苗字は似ているけど別の人。雑誌『週刊金曜日』441号(2002年12月20日号)のコラム『本のひろば』に書いた文章を転載します。(表記を一部変えました)

一度でも手から離したらそれっきりでおしまいに死んでしまう哺乳壜の口をくわえてただ押し黙ったまま何光年と座り続けているだけ/何もしない できない(「宇宙人の春」ガセネタ)

私は、1980年頃、日本のパンク~アバンギャルドな音楽をひたすら聴いていた。当時中学生の私が求めていたのは音楽を壊してしまうことだった。壊して壊して壊して、しかしその結果壊れたはずの音楽も、不思議に音楽の形を残していた。「ガセネタ」は、音楽を「壊す」バンドの先駆だったが、当時音源もほとんどなく、私の中で幻想がふくらんでいた。

それから15年ほどが過ぎ、時代は一巡した。そんな96年夏、一通の手紙が届いた。
「M様 はじめまして、私Yともうします。突然のお手紙申し訳ありません。Mさんの住所を古い雑誌『D』の投稿欄で見つけました。(中略)ガセネタのライブテープはお持ちでしょうか?もしお持ちならぜひとも、ダビングしていただきたいのでお手紙を書いたという次第です。(後略)」

確かに私は当時のD誌に「ガセネタ」のライブテープをダビングしてください、と書いているが、まさか15年後に手紙が来るとは……。Y氏からの手紙は、当時の自分から来た手紙のようでもあり、私は一瞬、立ちすくむ思いがした。

ガセネタの中心人物である山崎春美氏は、当時『ロックマガジン』『JAM』『HEAVEN』などの雑誌に、恐ろしくキレのある文章や詩を書いているが、単行本化されていない。『クイック・ジャパン』(太田出版)11号に同氏の特集がある。また、『スタジオ・ボイス』2003年1月号に一文を寄せている。ガセネタについては、大里俊晴氏の小説『ガセネタの荒野』(洋泉社)がある。

(以上引用)

Yさんとはこの手紙がきっかけで連絡を取って会ったりするようになり、今でも付き合いが続いている。筋金入りのマニアの人。今回のガセネタBOXにも音源を提供している。

極私的山崎春美体験⑩ ガセネタの荒野/ガセネタ"SOONER OR LATER" [80年頃の日本のパンク]

200706051500.jpg

soonerorlater.jpg

ガセネタは、PSFからCDが出るまでは、タコの1STに入っていた「宇宙人の春」しか聴くことができなかった。
1982、3年頃、DOLLの『売ります・買います』欄にライブテープ交換希望の投稿を載せたり、そこに載っている人に連絡を取ってテープ交換をしたりして、いろんなバンドの音源やらライブテープやらを集めたりしたけれど、ガセネタの音源は全く手に入らなかった。

なのでPSFからCDが出たときは本当に驚いたしうれしかった。

『ガセネタの荒野』が出たときもうれしかった。当時大塚に住んでいて、よく池袋に自転車で行っていたんだけど、『ガセネタの荒野』は多分池袋西武のブックセンターリブロで買って、今のジュンク堂書店の前の明治通りと二又になっているところにあったダンキンドーナツで一気読みした。そんな記憶がある。

池袋のダンキンドーナツは、今はカラオケ館になっているみたいですね。ダンキンドーナツの頃はよく利用していたなあ。ガラス張りの2階から通りのほうを見渡しているのが好きだった。

Negative Heart ファーストフード栄枯盛衰
http://blogs.dion.ne.jp/122/archives/10019610.html
昨日見たアニメ作品で、池袋のジュンク堂前の二又のところが使われてたシーンがありました。カラオケ屋になってるところ。あそこは昔はダンキン・ドーナツだったんだよね。(以上引用)

こういうことを思い出している人が他にもいるのを見つけると、なんだかうれしくなりますね。

ガセネタの荒野も今回復刊して、それも買ったけど、今回も一気読みに近い感じで読みました。なんかぐいぐい来るんですよね。ちなみに今回は御茶ノ水のディスクユニオンで買ってから近くのリンガーハットで読みました。笑

極私的山崎春美体験⑨ 山崎春美の文章 [80年頃の日本のパンク]

jamg.jpg

JAM特別ゲリラ号に掲載された小説"IcesCream PARANOIA"のほんの一部をかいつまんで転載します。

皿という皿は汚れてしまっている。できることなら今日のうちにでも洗っておきたいところが、相憎にもダッシング・キイポイント・ウォッシャーの点検日で配管工である発泡スチロールが来るまでは手もつけられない。
昨晩の人騒がせで救いのない夕食を思い出させる奇妙に青い油は、人口蛍光塗料のひどくケバケバしい煽情色にあおられて、見た目にもまぶしい恥かしい、粘液質の光り方をしていた。

・・・

思わず路上でギョッと立止り、泣き出しそうなヒステリーを土気色の皮膚に秘めたままいくも戻るもままならないぼくの立往生を、すくいあげるためでもあるかの如く発疱が口笛でハミングをかなでながら下手より登場。屈託のない明るい表情であの禁句をぼくに告げた。「やあ、沈んだ顔付きは変わらないね」

・・・

発疱からそう言われた瞬時、ぼくの中で再び電線がショートしたのだ。それは決定的だった。とり返しがつかない混線の仕方で、ぐにゃぐにゃに骨の軟化したヒトデの大群が、暴量の灰皿を踏んずけて、遠まわしにガス中毒の未来を閉ざしていく。扉は次々にしまりかけては反動で放たれ、まるで光線銃の寝台を、切迫した苦しいくすぐりで種分配しているようだ……。

前の10件 | - 80年頃の日本のパンク ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。