SSブログ
80年頃の日本のパンク ブログトップ
前の10件 | 次の10件

極私的山崎春美体験⑧ JAM HEAVEN [80年頃の日本のパンク]

heaven_1.PNG

山崎春美の文章が掲載され、編集にも関わったカルト雑誌"JAM""HEAVEN"。私もリアルタイムでは知らなかった。HEAVENの6号はバックナンバーで買った。渋谷のまんが書店で売っていた。1983年か1984年ころだったと思う。

heaven_2.PNG

https://twitter.com/#!/Isaribi/statuses/22593391204
その昔、渋谷には「まんが書店」つー極悪な店があって、店内にベタベタ「立ち読み厳禁、読んだら購入して頂きます」「五千円一万円でのお支払いはできません」「平積みの本は一番上から取ってください」って注意書きが貼られてた。
(以上引用)

heaven_3.PNG

まんが書店、まあこういう伝説みたいになってますね。たしかにそういう貼紙はあったと思う。まあとにかくHEAVENが終刊になった後もバックナンバーを売っていたんですよねそこは。で、偶然に見つけたか何かで知ったかして買いに行ったのだと思う。記憶では6号以外にも何冊か売ってたんだよなあ。定価で売ってたんだから全部買えばよかったのに、高校生だと金がなくて、選びに選んで、巻頭が杉浦茂のマンガで裸のラリーズの特集が載ってる6号を買ったんだと思う。

heaven_4.PNG

でも結局全部ほしくなって、大学生になってから古本屋で探して買ったなあ。HEAVENは神保町の白山通り沿いの古本屋にそろいで1万円で売ってたのを買った。今は1冊5000円位するみたいですね。

heaven_5.PNG

まあ学生のころはJAM、HEAVENを探して、神保町の古本屋で自販機本の古本の山をくまなく探したものです。探しているなかで、EVE(根本敬の死体漫画とかが載ってた)とかCRIS(第五列の記事とかが載ってた)とかも見つけたけど、買うまではしてなかったなあ。

heaven_6.PNG

当時はとにかくHEAVENは特別なものと思ってました。JAMよりHEAVENでしたね。
今見返すと、JAMの訳分からんパワーも面白いですけどね。

ガセネタBOX発売! [80年頃の日本のパンク]

ガセネタBOX、発売になりましたね!

IND7543.jpg

http://diskunion.net/jp/ct/detail/IND7543

いつからそうなったか知らないが、発表された発売日の前日には店頭に並ぶので、昨日、ディスクユニオンで買おうと思ってました(ユニオンは特典のCDがつくんですよね)。

夕方八王子で仕事、夜は赤坂で打ち合わせ、その間で買うのはどこがいいか。
問題は天気でしたね。台風6号の接近で西日本は大雨、東京も時々雨風が激しくなってました。
このルートの中で駅に近いユニオンは、、、ありました。御茶ノ水駅前店。

で、八王子~御茶ノ水~ディスクユニオン御茶ノ水駅前店でガセネタBOX購入(新装復刊した『ガセネタの荒野』も購入)~近くのリンガーハットで早めの夕食を食べつつ『ガセネタの荒野』を少し読む~新御茶ノ水から千代田線で赤坂、という、なかなか効率的なルートでこなしたんですが、赤坂の約束をすっぽかされた。

う~ん、こういうのはよしてほしいよねえ!と憤慨しながら帰宅。家族が寝てから、ガセネタBOXの1枚目をヘッドホンで聴く。

まだ買ってない人もいると思うのでどうだったこうだったというのは書きませんが、これから聴き進めていくのが楽しみだなあ。

極私的山崎春美体験⑦-3 DOLL 山崎春美インタビュー③ [80年頃の日本のパンク]

-何故タコのオムニバスLPを作ろうと思ったんですか。

山崎 最初ピナコテカの社長がタコのライブ・レコードを出すって言って、その時はライブテープを適当に集めて作ろうと思ってたの。だけど僕と白石民夫が仲悪くなっちゃって…そのレコードが出せなくなったのね。でもどうせレコードは作るつもりだったから、知り合いを30人位集めてオムニバスを作った。

-コンセプトはありますか。

山崎 歌詞は僕が全部書いてる。で、プロデュースも僕。それだけ。オムニバスだから1曲1曲バラバラだけど、それぞれ音楽的なリーダーがいてやってるから、各々の曲自体はまとまってるはずだよ。

-何故自主制作で出したんですか。

山崎 今回のLPは制作が僕で販売はピナコテカなんだけど、こういうのって色々な人集めてやるから自主制作でないとやりにくいってことがひとつ。それから「天皇」ってうたもそうだけど、歌詞が過激でしょ。歌詞が普通だったら、サウンドストリートでかけてもらってもいいんだけど。そういうわけにはいかない。「チン・キトク」とかさ、とたんに10秒で切られちゃうからさ。自主制作だからこそ出来る。

-自分のバンドは作らないんですか。

山崎 全くその気はないね。タコは何人もぞろぞろ出てきて、全員メチャクチャやればいいってバンドだから、それやめちゃったらあとはもう何もやることないよ、とりあえず。今後音楽的にどうのこうのってのはない。でもLPが全部売れれば、もう1枚出そうと思ってるけど。その時はもっと音楽的なやつを時間をかけて作ろうと思ってる。自分の好みで作った新しい音って感じのやつ。

-あなたの興味の対象というのはいつも一定の方向に収束されていっているような気がするんですが。

山崎 コンプレックスというところで収束するんじゃないかな。僕は岩窟王とか、巨人の星とか、愛と誠とかはすきなんだよ。あしたのジョーは嫌いだけど。ファナティックなものが好きなんだ。

-今、一番興味のあることは何ですか。

山崎 タコのLPの売上げ。(笑)

極私的山崎春美体験⑦-2 DOLL 山崎春美インタビュー② [80年頃の日本のパンク]

-よくライブをやってるけど、どんなことをするんですか?

山崎 ケイレンして転げまわるだけ。9月1日にやったのは知ってる?

-自殺未遂ギグでしょ。

山崎 そう。パフォーマンスっぽくなるとそうなるのね。表現本能だね。前やってたバンド(ガセネタ)があとくされ悪く終わっちゃったから、その余韻でやってるんじゃないかな。9月1日は本当に切ったの。手を縛って包丁を持って、ケイレンして転がり回るからどうしても切れるわけ。で、自分でグサッと刺したりして…。肩は10針縫った。やった後1週間くらいはすごく綺麗だったよ、傷が。こう、赤く盛り上がってねえ。でも今はもうあんまり残ってないでしょ。回復力が早いんだよね。

-痛くないんですか。

山崎 その時は痛くなかった。やってる最中は興奮してるから痛くないんだろうね。

-何故ケイレンするんですか。

山崎 自然に体が動くから。で、動くと人より速い。速い分だけ売りモンになるかなと思ってやってるの。

-昔からそう?

山崎 そう。高校卒業してすぐ始まった。(笑)今はもう体力ないからね、すぐ意識的になっちゃうけど。気をつけてるのは意識すると目をつぶっちゃうから、目をあけてるってことくらい。道を歩いていたりする時も時々ケイレンするけどね。

極私的山崎春美体験⑦-1 DOLL 山崎春美インタビュー① [80年頃の日本のパンク]

DOLL No.13(1982年12月25日発行)に掲載されている山崎春美インタビュー(収録は"11月19日 渋谷にて"とあります)を何回かに分けて転載してみますね。

-"山崎春美"って名前はあちこちでよく耳にするんですが、実際は何をやってる人なのかよくわからない。まず経歴から話して下さい。

山崎 まずひとつ言っておきたいのは、僕は24歳だっていうことね。(笑)確実に30歳位だと思われるんだよ、いつも。バタバタやってて実体がつかみにくいから年くってんだと思われるのね(笑)……ああ、経歴か。高校の時Rock Magazineて雑誌でごちゃごちゃ文章書いてて、そのあと東京に出てきたのね。間章なんかとつきあったりして…その頃ガセネタっていうバンドを作って、吉祥寺マイナーに出入りしてた。その直後に工作舎に入って…半年いてやめちゃった。それでJAMをやって、HEAVENの編集をやって…そのくらい。去年1年間はPOPEYEでリライトなんかして食ってたんだけど。その後はあっちこっちでちょこちょこ原稿書いてるね。本業はライターだよ。

-人との交流がすごく多いですね。

山崎 うん。だから誤解されるんだよ。野心を持ってるってね。みんなにいい顔してるとかさ。

-あなたが人とつきあう時の始まりは何からですか。

山崎 偶然。たまたま。坂本龍一とだって、雑談してる時にたまたまジル・ドゥルーズの話しになって、それで意気投合して、知り合いというより友人になったわけ。でも彼は忙しいから、年に何回かしか会わないけどね。

-あなたは冷たい人だって気がするな。

山崎 そう。その通り。つきあっていて何か問題を起したら、そいつはバッサリ切っちゃうね。友人は少ない方だよ。とにかく嫌いなのは固くて、自信に満ちていて、ナルシストで…そんな人は嫌い。きさくな人が好き。

極私的山崎春美体験⑥ タコ1st [80年頃の日本のパンク]

taco_1.jpg

80年代アングラの極北のように語られることもあるこの盤ですが、私はあんまり思い入れがない。
すみません、この盤の歴史的な位置づけとか影響力とか、そういうのは度外視して「極私的体験」として語るのが一連の記事の趣旨なので。。。

まあ繰り返しになるけど、私自身は今まで書いてきたとおりのかたちでタコを見てきたので、タコは山崎春美・白石民夫が中心のユニット、という風に見ていまして。実際、レコードもそのメンバーでの音源がレコードになる、という風に予告されていた。宝島の1981年11月号にも予告がある。

ところが、その後、白石さんがタコを脱退した。そのため、レコードの製作もいったん見通しが立たなくなった。そういう状況下で、山崎春美がいろんなメンバーを集めて作ったのが、タコの1st。

私の個人的な思い入れとしては、白石さん在籍時の録音のレコードを楽しみにしていただけに、それが実現しなかった落胆の気分をいまだに引きずっていて、実際に発売されたタコの1stに思い入れを抱く気分になれなかった、というところなのだ。

後に知り合った人からダビングしてもらったテープに、これが白石さん在籍時にレコード用に録音したものです、との説明がついたものがあって、本当にそういうものかは確かめようもないけれど、それを時々聴いている。

極私的山崎春美体験⑤ 宝島 1981年11月号 [80年頃の日本のパンク]

宝島1981_11.jpg

宝島、今の宝島は同名の雑誌として存続しているのが冗談のような状態ですけど、このころは"THE POP CULTURE MAG"として、巻頭に糸井重里インタビューが掲載されてたりしていたのですね。

さて、この中の"ヲンナコドモ新聞"というコーナーに、見開き2ページで、おそらく山崎春美が書いたと思われるタコのメンバー紹介が出ていますね。
ここに載っているメンバーは、小西ヤス、白石民夫、後飯塚僚、小堺文夫、ロリータ順子、山崎春美、緒巻健一で、あと最後に、名前だけ列挙する形で、隅田川乱一、大里俊晴、松本助六、山内正文、平野勝、という風に出ている。

ちなみにその次の見開き2ページは"ほぶらきん"で、この年の8月の新宿ロフトでのライブの写真と歌詞が掲載されてます。伝説となっている非常階段のライブの前に、ほぶらきんがライブをしていたんだから、いやあ何とも、すごいことです。

宝島、確か初めて買ったのがこの号ではなかったかなあ?今見返すと、ああこの記事読んだなあとかこの写真覚えているなあとか、いろいろよみがえってくる。小遣いの少ない中学~高校時代に買った雑誌って、何度も読んだし、目当ての記事以外のところもとりあえず読んじゃうから、知らず知らず余計な知識が頭に入っていきますよね。

ネットではどうなんだろう?まあリンクがあるから関心は広がっていくだろうけど、雑誌みたいなごちゃ混ぜ感はやっぱり薄れるのかな?

でもまあネットの力はすごいので、今さら雑誌の方がよかったとかそういうことをいう気はないんですが。

極私的山崎春美体験④ 天国注射の昼 [80年頃の日本のパンク]

1981年8月15日、日比谷野音でのイベントでタコを見ました。

天国注射の昼1981.JPG

youtubeに動画が上がってるのは1983年のやつですね。

1981年のときは、町田町蔵は入ってないです。
メンバーは、私の分かる範囲で書くと、山崎春美、白石民夫、ロリータ順子、大里俊晴、小堺文雄、という面々。

内容は、最初、ロリータ順子が「皆様に愛されたいと思っている、タコです~」と言って(「タコ」の1stにも入っていた)、そこからアカペラっぽく何か歌いだして、バックがフリーな感じで入ってきて、だんだんノイズっぽくなって、、、という展開。

セミがよく鳴いていた記憶があります。

この日のことは前にも書きましたね。

1981年と1987年に見た灰野敬二のライブ
http://take38.blog.so-net.ne.jp/2010-08-31

この記事で"野音で延々と、ロックの定型みたいなものからは外れた演奏を聴くというのも当時の私には強烈な体験で、その影響か、このころの音楽的な嗜好は、そういう定型からは外れたものに向かっていたような気がする。"と書いたとおりで、タコの演奏も強烈な体験でしたね。


極私的山崎春美体験③ 愛欲人民十時劇場 レコ発 [80年頃の日本のパンク]

愛欲人民十時劇場レコ発.JPG

1981年2月22日、愛欲人民十時劇場の、今で言うレコ発ライブがあったんですね。
このことは前に書いたことがあります。

1981年と1987年に見た灰野敬二のライブ
http://take38.blog.so-net.ne.jp/2010-08-31

1981年2月22日、多分土曜日の昼、荻窪グッドマンだった。
その少し前に出た『愛欲人民十時劇場』のレコ発だった。最も当時はレコ発なんて言葉はなかったが。
出演者は、白石民夫、石渡明廣セッション、大里俊晴セッション、灰野敬二、ベッダ・ミュージック・ワークショップ、きの、というものだった。
当時私は中学2年生で、このとき生まれて初めてライブハウスに行ったのだ。
(以上引用)

このときは山崎春美は出ていなくて、タコ関係だと白石民夫、大里俊晴セッションが出ていました。
白石さんはリズムボックスとアルトサックスの演奏、大里さんはチェロ~エレキギターで、バスクラリネット~アルトサックス、トランペットとのセッションだった。

吉祥寺マイナーは1980年9月に閉店してしまったから、私は足を踏み入れることはなかったのだけれど(前にも書いたけど、今でもまだそれを残念に思っている)、このライブを見られたので、吉祥寺マイナーとか、イベントとしての愛欲人民十時劇場の雰囲気を垣間見ることはできたかなあと思っている。

極私的山崎春美体験② 愛欲人民十時劇場 [80年頃の日本のパンク]

愛欲人民十時劇場.jpeg

1981年の1月に愛欲人民十時劇場を買った。お年玉をはたいて買ったのだな。

"山崎春美グループ"の演奏が収録されている。



この演奏のメンバーは、
山崎春美(vo)、美澤真之助(g)大里俊晴(g)ニシャコフスキー(ds)高橋文子(p)山内正文(syn)

もともとタコというのはこういうのをやってるグループだったんですよね。

このレコード、おまけにシングル盤のジャケット見たいなのが入っていて、その中に乾燥ウンコが入れられていた、という話がありますが、私のは陰毛と思われる毛でしたね。

なんというか、時代だよなあ。

このレコードは再発されないですねえ。再発されればいいのに。私にはすごく思い出深いレコード。
前の10件 | 次の10件 80年頃の日本のパンク ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。